『あなたの心に、一滴の酸素を』#1

こんにちは。
心理カウンセラー関 香澄です。
こちらをご覧くださりどうもありがとうございます。

孤独な「小さな戦士」だったあなたへ

「あなたの家のお父さんは、外ではどんな人でしたか?」

もし、周囲から「立派なお父さんね」「優しそうな方ね」と言われるたびに、返事にも困り言いようのない孤独を感じていたとしたら……。

それは、あなたが家の中で、
誰にも見せないお父さんの「別の顔」を一人で受け止めてきた証拠かもしれません。

私の父は、外では「神様」のような人だと言われていました。 でも、一歩家に入ればまるで笑顔のない、全くの「別人」がいたのです。

酒乱、暴言、そして理不尽なまでの過干。 家の外の明るい評価と、家の中の暗い地獄。
そのあまりの違いに子供だった私は どれほど混乱し、孤独を深めてきたことか。

「この家にいるには私は我慢するしかないんだ」
「誰にも、この辛さや怖さをわかってもらえない」

そうやって、自分の心に蓋をして、逃げ場のない暗い家で、今日まで必死に生き抜いてきたあなた。
今日は、そんな「選択権」を奪われていた頃のお話をさせてください。

「愛」という名の支配と、置き去りにされた心

父にとって私は「可愛くて仕方ない存在」だったのかもしれません。けれど、それは私を尊重する愛ではありませんでした。」

父に睨まれれば最後、空気は一変します。父自身の満たされない感情をぶつけられる日々。私は子供としての心を殺し、父を怒らせないため父が望む「可愛い仮面」を演じ切るしかありませんでした。

家の中の父は、私の全存在を支配する、決して逃れることのできない絶対的な存在。

歪んだ独占欲と、爆発した心

私にはそれが、愛情などではなく、思い通りに操りたい「所有物」への執着や支配欲にしか思えませんでした。

そこには、私の「意思」など一ミリも存在しなかったのです。 夏休みの旅行も、休日の外食も、すべては父次第。代わり映えのしない父の「お気に入り」に付き合わされるだけの時間。

父の機嫌が良ければ何かを買ってもらえる……そんな、顔色を伺う対価としての喜びしか、私には与えられていませんでした。

家の中には本当の私の心を理解してくれる人は誰一人いませんでした。

「私はあなたの彼女じゃない!」届かない叫びと母の拒絶

中学に入り、陸上部に打ち込むことでなんとか正気を保っていましたが、父の異常な支配は加速しました。 男子の先輩からの部活の連絡すら、取り次いでもらえない。相手が男性というだけで、父の歪んだ独占欲が牙をむくのです。

「私はあなたの彼女じゃない!」

心の中で何度叫んだことでしょう。けれど、反撃すればさらなる嵐が来る。

翌朝、誰もいない校庭でたった一人立ち尽くし、悔し涙を流すことしかできませんでした。先輩からは「なぜ電話に出ないんだ」と責められましたが、私は必死に嘘をついて父をかばい続けるしかありませんでした。

納得がいかないまま、悪くないはずの自分の心を無理やりねじ伏せてまで父をかばう――。その惨めさは、中学生の私にとって屈辱以外の何ものでもありませんでした。

さらに私を追い詰めたのは、母の言葉でした。
「お父さんはそういう人だから我慢しなさい」
「あなたが可愛いから、心配で言っているのよ」


何を言っても無駄なのだと、目の前が真っ暗になりました。「可愛い」という言葉で私の口を封じ、私より家庭の平穏を保とうとする母。その優しさの皮を被った残酷さが、私の心を完全に折ってしまったのです。

「普通は違うんじゃない?」という私の叫びは、この家では一度も届くことはありませんでした。父からは支配され、母からはその苦しみを封じ込められる。

家の中に、私の心を守ってくれる大人は一人もいませんでした。

奪われた選択権と、限界の爆発

そもそも、私には何の選択権も与えられていませんでした。 夏休みの旅行も、休日の外食も、すべては父の独裁。

代わり映えのしない父の「お気に入り」に付き合わされるだけの時間。父の機嫌が良ければ帰りに何か買ってもらえる程度で、そこに私の喜びや希望が入り込む余地など、一ミリもなかったのです。

世間の「普通」が一切通用しない家。
中学3年の夏、ついに私の不満は爆発し、夜の街へと逃げ出すようになりました。

けれど、父も母もその理由を聞こうとはせず、ただ「悪い子」というレッテルを貼り、私を睨み、暴言を吐き散らすだけ。私の苦しみが理解される日は、ついに来ませんでした。

夜の海は、私の「心の酸素」でした

中学3年の夏休み。ついに限界を迎えた私は、夜の家を抜け出しました。 バイクの後ろに乗せてもらい、向かったのは夜中の海。そこだけが、父の監視と母の無関心から逃げ出せる「本当の自由」でした。

風を切り、潮風を浴びる。その心地よさに、帰宅後に待ち受ける怒鳴り声なんてどうでもよくなっていました。

世間から見れば、それは単なる「夜遊び」や「非行」に見えたかもしれません。 でも、あの時の私にとっては、枯れかけた心に注ぐ、最後の一滴の酸素だったのです。

家に戻れば、両親は理由を聞くこともなく、私を睨み、暴言を吐き捨てました。

「私の苦しみが理解される日は、ついに来ませんでした。あの日も、そしてその後も。」

最後に、あなたに伝えたいこと

15歳の私には、夜の海へ逃げ出す以外の「選択肢」は残されていませんでした。

もし今、あなたが過去の自分を「あんなことしなければよかった」と責めているなら、伝えたい。 あなたは、あの極限状態で、精一杯自分を守り抜いたんです。

さて、そんな私が18歳で家を飛び出すまでには、さらなる試練が待っていました。

次回は、高校時代のいじめ、そして中退という「心が折れた瞬間」についてお話しします。

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