【どんな絶望の中にも必ず、希望の光はあります!】

こんにちわ。
心理カウンセラー関 香澄です。

ちらをご覧くださりどうもありがとうございます。

今日は私の過去の実話をお話させていただきたいと思います。

青春の輝きと未来への希望、そして少しの不安。 20歳までの私も、そんなごく普通の女性の一人でした。 長所は好奇心が強く明るい性格だったと思います。

一般的な20歳の女子として、友人と笑いながらお買い物やおしゃべり、ディスコで踊るなど青春を謳歌していました。


その当たり前の日常こそが、実はとても貴重でかけがえのない瞬間(青春)だったのです。

青春の輝きと突然の変化
21歳になった私は天国から地獄を経験しました。

事故により健全者から障害者になってしまいました。

地獄のような日々、目が覚めた時、私は病院のベットの上でした。

最初に目に入ったのはシミのある白い天井でした。

しばらくは現実が受け止められず今までの人生が音を立てて崩れ落ち、心と体がバラバラになった感じで、まるで私だけ別世界にいるようでした。

病院での苦難
脊髄を損傷した病院での日常は過酷でした 回転ベッドに寝かされ、石膏のような素材で作られた私の体にフィットしたボードのようなものに寝かされ数時間ごとに看護師さんに「回転しますね!」と言われ、上下にひっくり返される姿は、まさに「たい焼き屋さんのたい焼き」のようでした。

リハビリの日々
三か月後には寝たきりのままリハビリ病院に搬送された私はコルセットを着用しながらベットアップをしてもらえるようになりました。

今まで天井と床しかない日常だったので体が少しづつ起きることで空が見えるだけで感動しました。

リハビリがベッド上から始まり、徐々に車椅子に乗れるようになると、本格的なリハビリが開始されました。 脊髄を損傷した私は両足が麻痺しているため歩行はできません。そのため、手や腕、座位バランスなどを鍛えていきました。

リハビリを通してお友達もでき、車椅子で行けるデパートでランチしたり、映画を見たりと行動範囲も広がりました。

涙していた心も、少しづつ元気を取り戻していきました。

辛い現実
健康な時に住んでいた所は3階で階段で、勤め先も階段が上がった所にエレベーター設置だったので何もかもリセットして人生全般を見直さなくてはならなくなりました。

当時の私はプレッシャーに押しつぶされそうでした。

母の言葉の大切さ
入院生活もリハビリ病院を含めて、すでに一年の時が流れていき母は表面上で私が笑っていても将来の希望が見い出せず私が立ち直れていないことに気がついたのだと思います

話の流れでいきなり母は私に投げかけてきました。

【人生は一度きり!一日たりとも戻らない!泣いて過ごすも笑って過ごすも同じ一生
ならあなたはどんな生き方をしたいの?】
絶句!・・?・・・無・・

正直、母から言われた言葉が、すぐには心には響かず言葉が出ませんでした。

時間の流れの中で自分の障害、未来に目を向けられるようになりました。

母から言われた言葉を思い出し、私は自分の心に誓いを立てました。
私の長所は明るい所。ならば私は障害者だけど心の障害者にはならないと!


決意がくれた、新たな人生
あの時の決意が、私の新たな人生のスタート地点でした。 もちろん、簡単な道のりではありませんでした。転んでは立ち上がりの連続で何度もくじけそうになりました。

しかし、「心の障害者にはならない」という誓いと、**「物事の捉え方次第で、未来は変えられる」**という気づきが、私を支え歩んでこれました。

この体験を通じて得た私の教訓は、「どんな絶望の中にも、必ず希望の光はある」ということです。そして絶望を経験したらこそ見えるものもあると思います。

そして今、私は心理カウンセラーとして、かつての私のように、大きな困難や深い悩みの中で光を見失いそうになっている方々の寄り添いサポートをしています。

もしあなたが今、辛さから抜け出せず、一人で苦しんでいるのなら。

まずは未来を信じる一歩から私と一緒に踏み出してみませんか?

一緒に心の重荷を下ろし、あなたらしい人生をリスタートする方法を見つけましょう。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。

ツールバーへスキップ